「彼らが見ている。おまえは象徴なのだ」──
これは2022年2月、ウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まったわずか7時間後に、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領が自らを鼓舞するため口にした言葉だ。
「全世界が注目していた。『彼ら』とは私たち全員を意味していた」と、米誌『タイム』特派員サイモン・シャスターは説明する。
「ゼレンスキーは、自分が世界中から注視されているという事実に気づいていた。それが彼を戦時指導者に求められる精神状態にした」シャスターが初めてゼレンスキーを取材したのは、2019年の大統領選中だった。
ロシア侵攻後はそれまで以上にゼレンスキーに接近し、最前線への慰問に同行し、地下壕や移動中の列車内、爆撃を受けた現場などでインタビューを敢行。
元コメディアンが高いコミュニケーション能力で世界を味方につけ、人々の心を動かし賞賛を浴びるリーダーへと変貌を遂げてゆくさまを、
このほど新著『The Showman』(ショーマン、興行師・芸人の意)にまとめた。
シャスターによれば、ゼレンスキーは言葉を重視している。
コメディアンから戦時指揮官に転身したゼレンスキーは、ステージで磨いたコミュニケーションスキルを駆使して支持を集め、部下の集中力とモチベーションを維持してきた。
■心から話す
世界の多くの指導者たちと同様、ゼレンスキーも信頼できるスピーチライターを採用して世界に届ける演説の原稿を作成している。
しかしシャスターは、これまで取材してきたあまたの指導者と比べても、ゼレンスキーは
「膨大な時間をスピーチ作成に費やし、アイデアを練り上げ、磨きをかけている」と証言する。
ゼレンスキーは、侵攻当初の数日間をウクライナが生き延びるには西側の支援が不可欠なことを理解していた。
「数日持ちこたえられるだけの備蓄はあった」とシャスターは明かす。
「だが、世界を味方につけとにかくたくさんの支援を集める必要があった。そのためにどうするか。コミュニケーションを通じて人々の心をつかまなければならない。
共通の価値観を守るために援助しているのだと思わせるのだ」
「戦争というのは、銃撃戦が始まるずっと以前に人々の心の中で始まっている。ショーマンから大統領になったゼレンスキーにとっては、なじんだ領域といえた」
■お手本は喜劇王チャップリン
ゼレンスキーは、危機に際して世論に影響を与えたコミュニケーションスキルの達人たちをよく研究しているという。
最も尊敬する「パフォーマー」は、ホロコーストのさなかにヒトラーを風刺した喜劇王チャールズ・チャップリンだとシャスターに語っている。
チャップリンはファシズムと戦うために情報を武器にし「その影響力はしばしば大砲よりも強かった」というのがゼレンスキーの見解だ。
ゼレンスキーの言葉が人々の心に響くのは、それが彼自身の考えに基づいているからだ。
ただ目の前に置かれた原稿を読んでいるわけではなく、さらには自ら選んだ見習うべきロールモデルの視点で表現を厳選してスピーチを仕上げているからだ。
■価値観を共有する
ゼレンスキーが戦時下の演説のほとんどに一貫して用いているアプローチの1つが、主題を共通の価値観に結びつけることだ。
聴衆の心に響く歴史的な出来事や経験を引き合いに出し、相手の琴線を揺らそうと試みる。
たとえば、ドイツ連邦議会での演説では、ベルリンの壁とホロコーストに言及した。
ドイツ国民の心をつかむ意図があってのものだ。
米上下両院合同会議での演説では、ウクライナの戦いを米独立戦争、特に米植民地軍が英国軍に決定的な勝利を収めた1777年のサラトガの戦いを引き合いに出した。
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