2/10(土) 7:15 NEWSポストセブン
■私は貴女の筆記用具
ヒットを量産する研と中島に突然の“別れ”が訪れたのは1979年。同年8月発売の『ひとりぼっちで踊らせて/海鳴り』を最後に、2人の関係は途切れた。
「ある曲を巡ってプロモーションの仕方でちょっとした行き違いが生じ、どちらともなく距離を取るようになったそうです。そもそもあの2人が顔を合わせたのは最初のレコーディングの1回だけで、その後の直接のやりとりはなかった。曲を通じて会話しているように見えていても、繊細な2人の関係はもろく崩れやすかったのでしょう」(芸能関係者)
一度は切れた運命の「糸」を再び結び直したのは、断絶から約25年が経過した頃だった。神奈川県内で行われた中島のコンサート会場に研が姿を現したのだった。
「再会と前後して研さんはベストアルバムをリリースしているのですが、その収録曲を見ると、中島さん提供の楽曲が数多く並んでいます。別れの挨拶もなく関係が終わってしまったことを、実は研さんはずっと気にかけていました。歌手人生を振り返ったときに、その気持ちがさらに大きくなったのかもしれません。彼女は夫を同伴して、中島さんの楽屋を訪れました。再会した2人は初対面のときのようにボソボソと“ご無沙汰しています”などの短い言葉を交わすだけだったとか。わずか数分だけの再会でしたが、心は再び通じ合ったようです」(前出・芸能関係者)
四半世紀の空白を経て、歯車はまたゆっくりと、今度はしっかりと噛み合って動き始めた。
「楽曲の提供こそないものの、つながりとしては再会後の方が強いように感じます。中島さんは曲を提供しなくなったことで、研さんの才能を再確認しているようでした。以前、中島さんがテレビ番組の企画で研さん宛てに手紙を書いていましたが、その文面からは、なぜ彼女が研さんに最も多くの楽曲を提供したかが読み取れた気がします」(前出・音楽関係者)
そのテレビ番組とは2007年2月放送の『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)。研ナオコ特集が組まれ、研と関係の深い中島はこんな“ラブレター”を寄せた。
《研ナオコ様。私は貴女の生活を聴きとり調査して、楽曲を書いたわけではありませんでした。なのに貴女が歌ってくださるのを聴くと、もともと貴女がシンガーソングライターで、生まれた作品だったように聴こえてくるから不思議です。この場合、私の役目は貴女の筆記用具だったのかもしれない、と思えるほどです》
そして手紙はこう続く。
《私は貴女にますます憧れっぱなしです》
その後もことあるごとに中島は研に手紙を書き続けた。2017年3月、研が舞台の公演中にけがをして入院した際も、中島は直筆の手紙を送って勇気づけた。
一方の研は、手紙の返事を出したことがないという。
「でもそれは、“返事なんて期待していない”という中島さんの心情を理解してのことなんです。実際は研さんの中島さんへの思いも相当なもので、中島さんが提供した曲を歌うほかの歌手を見るたびに“違う、違う”と言ってもどかしそうですし、“私が中島みゆきを歌えなくなるときは死ぬとき”と公言しています」(前出・芸能関係者)
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
引用元: ・【断絶と再会の50年友情】 中島みゆきと研ナオコ 一度は切れた運命の「糸」を結び直して [湛然★]
って原因は顔なんだが
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