これらの多くは中流から上流階級の人々です。なぜ彼らは家や仕事を捨てて、中国を脱出するのでしょうか?
中国で医師をしていた劉さんが新唐人に語ったところによると、以前、彼は愛国心が強かったと言います。彼が米国へやってきたのには深い理由がありました。
中国で医師をしていた劉さん
「中国での生活は素晴らしいものでした。両親は公務員で、配偶者の収入も非常に高く、私自身も薬局を経営し医者もしていました。父の年金は月に7千元(約15万円)以上もあり、月々の支出はわずか500元(約1万円)程度でした」
劉さんによると、自身が経営する薬局が政府の建物を借りていたため、強制的に返還させられました。その結果、数百万元(数千万円)の損失を被り、裁判でも敗訴したといいます。これにより、彼は中共の悪意を見抜き、米国に移住する決意をしました。
劉さん
「米国に移住することはすべてを捨てることを意味します。しかし、それ相応の価値がありました。米国での生活は素晴らしいものです。少なくとも、ここでは圧力を感じません。1日の収入で4日分の生活ができます」
劉さんは以前米国で、ある大学教授と1か月間ほどルームシェアをしていました。その教授は国内で年間70万元(約1500万円)を稼ぐことができたと言います。自宅にはメイドが3人いて、子供は幼いうちに海外に住まわせていたそうです。
劉さん
「知り合いの経済学の教授は、月々の年金が数万に達しています。彼は教育関係者で、市長や省長ともつながりを持っていました。北京に数百万の価値がある別荘を持っていますが、売り払うと共産党に知られてしまうので、そのまま放置してきたそうです。今、彼の妻も米国に来ており、子供も一人で、資産も移したので心配はないと言っています」
34歳の魏さんは大学を卒業後、中国のアップル製造工場で管理職に就きましたが、ネット規制を避けて情報を検索したことが原因で、警察に5日間拘束され、保証書と始末書を書かされました。絶望を感じた魏さんは中国を脱出しました。
魏さん
「ただ言葉を発しただけで、国内の実情を流しただけで、拘束されるなんて思ってもみませんでした。昨年7月に会社からリストラされた後、カザフスタンに向かう途中、隣に座っていた若者が走線して米国に来たいと言っていました」
魏さんは「走線」して米国へやってきた後、自由と安全を感じたといいます。
魏さん
「言いたいことは自由に言えますし、バイデンを批判することもできます。中国にいたときは話す勇気すらありませんでした。仲の良い友人とすら意見を交わすことができません。お互い自分が危険な目に巻き込まれないか恐れていたからです」
安徽省の高校を退職した章さんは、中国国内で比較的恵まれた生活を送っていましたが、精神的なプレッシャーが大きくなり「走線」して米国へやってきました。
安徽省の高校を退職した章さん
「私はキリスト教徒であるという理由で地元の警察によく嫌がらせをされていました。恐怖、欺瞞、抑圧、攻撃など、また白紙運動や疫病、そして、ビザの申請も何度か失敗して、希望がなくなり、これ以上国内にいられないと感じました。もはや恐怖や抑圧の問題だけではありません。次は生きるか死ぬかの問題です」
中国で翻訳の仕事をしていた顧さんは、信仰の問題により会社から解雇され、警察による嫌がらせに頻繁に遭い、中国から脱出することを選択しました。
中国で翻訳者をしていた顧さん
「出国する前に警察署に呼び出されました。今、脱出者が多すぎて、みんなほぼ同じような経験を持っています」
2022年、2万4千人以上の中国人が「走線」して米国に入国し、過去10年間の総数を上回りました。
2023年の1月から9月までに、2万人以上の中国人がメキシコを経由して米国に不法入国し、この数字は昨年同期の13倍に上ります。
引用元: ・【なぜ中国から米国へ逃げ出すのか?】中国人は語る 「言いたいことは自由に言えますし、バイデンを批判することもできます 中国にいたときは話す勇気すらありませんでした」
コメント