2/24(土) 8:09配信 ハンギョレ新聞
パク・クォニル|独立研究者、『韓国の能力主義』著者
先月、フィナンシャル・タイムズに興味深い記事が掲載された。各国で若い女性と若い男性との理念格差が大きく広がっているという内容だった。どの国でも若者はリベラルで、年を取るにつれて保守化する。ところが最近、多くの国で若い男性が保守化し、理念が男女で大きく分かれているというのだ。記事では米国、英国、ドイツ、韓国の例が言及されていたが、その中でも韓国が特に異常だった。他国でも若い男性は保守化してはいるが、女性に比べて相対的にそうだということであって、依然として保守よりはリベラルに近かった。大韓民国は違った。グラフを見ると、韓国の若い男性は2015年頃からダイビングするように大きく落ち込んでいる。極端に、そして急速に保守化したことを意味するものだ。
なぜこのようなことが起きたのだろうか。残念ながら記事は現象を提示するだけで、背景や原因を具体的に分析してはいない。いくつかの単語がふと思い浮かんだ。その中の一つが「孤独」だ。政治哲学者のキム・マングォンは自著『孤独の襲撃』で「孤独な時代の最も孤独な世代」こそ20代だと強調する。彼は、孤独は純粋に個人的でロマンチックな情緒にとどまるものではなく、人々を苦しませ、嫌悪させ、果ては死に至らしめる深刻な社会現象であることを、説得力をもって説明する。同書はまた、孤独は個人だけでなく「実際に民主主義を脅かす段階に達している」とし、ハンナ・アーレントの思想を借りて次のように警告する。「全体主義は孤独になった大衆の支持によって維持される」
ここまで来ると疑問がわく。「孤独の襲撃」は若い女性にとっても例外ではない。では、なぜ女性はリベラル化し、男性は保守化したのか。一つの理由に還元することはできないが、少なくとも若い女性と若い男性との間には重要な違いがあるようにみえる。ファイナンシャル・タイムズの記事でも言及されているように、理念の違いが克明になった転換点は2015年だ。MeToo運動、江南(カンナム)駅殺人事件を機としてフェミニズムの波が改めて押し寄せた時だ。だが、単にフェミニズムを答えだとするのは浅薄すぎる説明だろう。具体的にどのように作用したのかが重要だ。
短いコラムでそれをきちんと説明することは不可能だから、無理に要約せざるを得ない。一言で言えば、若い男性は「被害の語り」にとどまっている一方、若い女性は「連帯の語り」へと歩み出したということだ。少なからぬ女性が被害者のアイデンティティーに閉じ込められるのではなく、他の女性たちと積極的に連帯し、互いを気づかった。その結果、前例のない多くの新たな政治的結社とケアの共同体が生まれた。一方、一部の若い男性は軍への服務という自身の被害者性を語りつつ、共同体の資源に「ただ乗り」する集団に対する攻撃に没頭した。もちろん韓国は依然として男性中心の社会であるため、連帯の必要性を改めて感じられなかったのかもしれない。また、「特定の仲間で固まる行為の禁止」というオンラインコミュニティーのルールを過剰に内面化するあまり、若い男性同士では最小限の連帯さえ作れなかったという面もある。
ここで重要なのは、被害の語りにとどまるのか、それとも連帯の語りへと踏み出すのかを決めるポイントは「大義」であるという点だ。女性たちはフェミニズムという基盤があったため、対立や違いがあっても同質感を高めながら連帯することができた。若い男性にはそのようなものはなかった。あえてあげるのなら能力主義くらいだが、それはすでに多くの専門家が論証したように、理論的にも倫理的にも正当化は困難であるだけでなく、優れた男性を意味するいわゆる「アルファメイル」以外の男性を排除する自縄自縛の論理だ。中略
今は大義、あるいは「大きな語り」の中から共同の価値を見出すのが難しい時代だ。世界の中の自らの位置と進むべき方向の見えないこの「無世界性(worldlessness)」の状況は、特に若い世代のアイデンティティーの空白と慢性的な「承認不安」を誘発する。彼らを丸ごと怪物扱いするのではなく、綿密に様子をうかがい、静かに声をかけるべき理由はここにある。
パク・クォニル|独立研究者、『韓国の能力主義』著者
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c1e01fea187433cc090accef3a3b9de7daad067
引用元: ・【韓国】なぜ韓国の若い男性はおかしくなったのか [動物園φ★]
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