遠藤一
ニートとひきこもりが2022年春に立ち上げたばかりの個人出版社『点滅社』が売り上げ好調、注目を集めている。昨年11月に編集・出版した『鬱の本』が、ジュンク堂池袋本店書店の文芸書カテゴリで2週にわたりランクイン。5000部の初版は完売、今年1月に増刷して8000部に。
やりたいことをやって、生きるのを終わろうかと思った。ずっと本に救われてきたから」と、自分の作りたい本を作ってから死のうと思っていたそうだ。
この破滅的な理由ではじまった出版社は、現在は主に屋良さんともう一人、小室ユウヤさんで運営している。屋良さんが長年ニートだったのに対して、小室さんは元ひきこもり。
2人は8年ほど前、屋良さんが22歳、小室さんが26歳の頃に出会った。
ニートとひきこもり、ゲーム廃人の“青春”
沖縄生まれの屋良さんは大学生・21歳の時に上京。「将来のビジョンも見えなくて、どこかに行きたくて。小旅行のつもりで東京に来たんだけど、八王子のシェアハウスに居ついて、そのまま沖縄の大学もやめちゃった」とフーテン暮らしに。
しかし「そのシェアハウスの“家風”が“自分の居場所は自分で作るしかない”みたいなはぐれ者の集まり。そういう脳みそになった」と、周囲の自立志向に影響された。
当時、屋良さんはボードゲームにはまり「一日12時間、週7」で遊んでいた。
シェアハウスの中で、少額でボードゲーム会を開くと、ボードゲームブームの後押しもあり、お客さんがたくさん来た。23歳になっていた屋良さんは「これを仕事にして、一日中浸かっていられる場所を作ろう」と店舗を借り、ボードゲームカフェを立ち上げた、
その店の常連の一人が、小室さんだった。
小室さんは神奈川県に生まれ育ち、中学生2年生の時に不登校になり、中学後半の2年間、部屋に閉じこもった。
高校は「定時制を何とか卒業した」が、その後も5年間、引きこもりに。
25歳の時に突如「このまま終わりたくない。やるしかないんだ」と勢いで某大型スーパーマーケットのバイト募集に電話すると合格。以後、4年ほど鮮魚コーナーで働いていた。
ボードゲームカフェで出会った2人は、趣味の映画の話なども合い、たちまち意気投合。しかし店は、1年ほどで人間関係のトラブルで潰れた。その後、屋良さんの長いニート暮らしが4年ほど続く。
屋良さんは当時を振り返り「人生もうダメだと思っていた。ずっとゲーム廃人だった」と言う。そのうちに小室さんもバイトをやめ、2人は昼過ぎに起きて、互いの家に行ってゲームをする、その繰り返し……。
小室さんは「俺たちこれからどうしよう、もう終わりだねって言い合ってた。死んだ目でゲームして、明け方の街を2人で散歩して、起きたら昼過ぎ。これのエンドレス」と泥沼のような生活だったと言う。
鬱のどん底から「やりたいことをやるしかない」
そんな生活の中、屋良さんの鬱は進行。「駅のホームにいると体が勝手に飛び降りようとして、柱につかまって耐えていた。27歳の誕生日くらいには、もう死んじゃうかもしれないと本気で思ってた」と希死念慮と戦う日々が続いた。
屋良さんが唯一“生きる理由”になったのが「本を作る仕事をしたい」という思いだ。「死のうかどうしようか迷っている時に、小説、短歌、詩集、エッセイ、日記など、主に文芸書に救われてきた」と言う。
そこで出版社の社員やバイトに応募するが、落ちまくった。エンタメ系の他のアルバイトに応募するも、腰まである長髪を切らなかったこともあり、ことごとく落ちたという。
「もう自分でやるしかない。やるならやりたいことをやろう」と起業を決意した。その数ヶ月前に祖父の遺産が入っていたこともあり、それも元手にしようと思ったと言う。
書籍の編集経験はなく、過去に2度だけ、ZINE(個人で作る冊子等の出版物)を友達と作ったことがあった。
小室さんも誘った。屋良さんは「この仕事ならユウヤ(小室)さんもいけるんじゃないかと、半ば強引に誘った。『大丈夫大丈夫、めちゃめちゃ不安定だけど、俺が社長だから』みたいにめっちゃ口説いた」と勧誘したと言う。
小室さんも「アサヤ(屋良さん)が出来るんならやるか」と、2人きりの出版社が立ち上がった。22年の春だった。
次のページ
ひきこもりが小さな書店の店長に
引用元: ・ゲーム廃人うつ病ニート&ひきこもりが未経験から起業、“ふたり出版社”の本…「読めなくても、ほんの一握りの光みたいになってくれれば」 [少考さん★]
すべて上手くいく、
プラス思考、
とかメモに書いて繰り返し読めよ
ほとんどが持たざるクリーチャーだから
一条の光じゃないの?
コメント