産経新聞
鎌倉幕府の打倒を目指し、「承久(じょうきゅう)の乱」(1221年)を起こして敗れた後鳥羽上皇が、造営した水無瀬(みなせ)離宮(水無瀬殿)。これまで確認されていない離宮中枢部の有力候補地との指摘がある大阪府島本町の一角で、マンション開発などが計画され、その開発予定地に対する発掘調査の実施が検討されていることが、明らかになった。島本町は「正式な書面提出を待って、実施するかの判断をしたい」との姿勢だが、事業者側は「島本町と協議を行い、試掘調査等の対応を実施する予定です」とコメントしている。この場所には大正時代に大阪府が「水無瀬宮址」の石碑を建てているうえ、近年の調査などにより、水無瀬離宮の新御所の所在地との指摘がある。発掘調査の動向に注目が集まる。
洪水で新御所に
水無瀬離宮は鎌倉時代初めの内大臣、源通親(みちちか)の別業(別荘)だった「水成瀬山荘」を、後鳥羽上皇の御所(御在所)としたことに始まる。元久2(1205)年には、大改修が行われた。
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https://www.sankei.com/article/20240305-W52GHRP6JRMVPL5CCO3LROLHGM/
引用元: ・【歴史】後鳥羽上皇が造営した「水無瀬離宮」の実像に迫れるか 有力候補地の発掘調査を検討 [ぐれ★]
事業者か
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