ー前略ー
ルース・ベネディクトの『菊と刀』(1946)をはじめ、西欧人の目で日本を見た本は多い。
カーの著書もまた、西欧のレンズで日本を深く見つめているが、焦点は愛情こもった批判に合わせられている。
西欧人はなぜ日本に引きつけられるのか。著者が探し当てた答えは「安らぎ」だ。
彼が、日本学を専攻する外国人の友人たちに、人生で最も興奮した瞬間を尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。
「禅寺で瞑想(めいそう)をしていると、僧侶が歩いていき、銀色の僧衣のきぬ擦れ音が聞こえた」。
こうした「平和」を、カーは「停滞」のせいだと分析する。
「第2次世界大戦が終わり、日本は50年間、断絶のない平和の時代を過ごした。
その期間に日本の社会システムとコンクリートは急速に堅固なものになった。
日本は社会的に停滞した国になり、日本に引きつけられる多数の外国人は、そうしたところに安らぎを感じる人々だった」
平和で安定した社会は、日本が実現した大きな業績の一つだが、著者は「厳然と存在する部落民や朝鮮人に対する差別といった
深刻な社会問題は、注意深く後ろに隠されている」と語る。
「システムに反する声を上げるべきではないという雰囲気で、その結果、女性や自然環境、各種の法的問題、
または消費者を擁護する弁護団体の力はどうしようもなく弱い」
著者は「日本は中国と異なり、常に他の国から文化を輸入する側だったので、胸中深くでは自らの
文化的アイデンティティーについての不安感で苦しんでいる」とし「全ての人を『日本をたたく人』あるいは『日本を愛する人』、
二つのうちのどちらかだとみている」とも語った。「世界のどの国も、日本ほどには自画自賛する本は多くない」。
だから、日本学分野の外国人学者は、主張を披露する際には注意を払わなければならない。
ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本を書き、名士として遇された。
反面、言語学者のロイ・アンドリュー・ミラーは、日本語が他の言語に比べて優れていると主張する言語学者らに挑戦する著書
『Japan’s Modern Myth』を書き、「日本たたき」だとして排斥された。
だから日本学者は、批判的視点を放棄したまま、日本に「転向」する傾向がある。
「時折私は、『日本学』を『日本崇拝』と呼んだ方がより正確なのではないかと思う」
日本文化全般を貫く特徴を「瞬間に集中すること」と解釈している。一瞬の美学を強調する簡潔な俳句や和歌が発達したが、
叙事や思想を長々と説く詩は非常にまれだ。
長い韻文は、連歌のように、真珠を一つずつ糸に通して長くつなげるのと同じ形で生まれた。
著者が東京の不動産業界で働いたときも、「瞬間の文化」が目に付いた。詳細な建築法規は数え切れないほど多く存在しているけれど、
建物のデザインが街並みやスカイラインとの間で有する美的関係は無視し、「不注意かつ一貫性のない、醜い景観が誕生した」のだ。
「高架道路システムの残念な状況もまた、連歌式思考方式の結果だ。
マスタープランがなく、一区間の高速道路を建設する年間予算を一つずつつなげていくだけ」
さらに「美しさ」の観点から、日本は沈みつつあると批判する。中国と異なり、日本人は茶器を除くと自国の伝統美術品に無関心で、
2000年以降日本の美術品の価格が急落していることを代表例に挙げた。
「私のコレクション能力は、もっぱら一つの事実を頼みとしている。日本人のアジア美術に対する無関心。
これが続くかぎり、私はコレクションを増やしていくことができる」
ー後略ー
クァク・アラム記者
全文はソースから
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/02/05/2024020580203.html
引用元: ・【新刊】 西欧人はなぜ日本に引かれるのか…「平和の顔」をした停滞した社会だから [2/12] [仮面ウニダー★]
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